今日は2020年3月11日。
東日本大震災から丸9年となりました。新型コロナウィルスの影響により、追悼セレモニー等各種イベントも自粛、あるいは規模縮小し開催されたようです。テレビ番組も例年に比べると、震災関連の番組もやや少なめ、コロナウィルス関連が多いようにも感じます。
9年前の今日。私は岩手県盛岡市の岩手医科大学附属病院の歯科医療センターにて、臨床研修医として診療にあたっていました。私が在籍していた歯科医療センター総合歯科は建物の1階でした。
14時46分。激しい揺れが襲いました。診療をストップし、傍にいる患者さんと共に揺れが収まるのをただ待つ他ありませんでした。間もなく揺れは収まりましたが、院内は停電により非常用電源による非常灯が灯るのみ、すぐ隣の学部棟の玄関のガラスは激しい揺れにより破損していました。院内のスタッフ、患者さんすべてが呆然としていました…
同じ頃、槙子先生は岩手県宮古市の田老地区にある実家の歯科医院にて診療中でした。地震の激しい揺れに襲われ、津波を心配したため、患者さんやスタッフ、お母さんと共に診療所裏の丘に避難したそうです。まもなく、日本一の防潮堤を破壊しながら乗り越える大津波が押し寄せ、目の前で診療所や実家が流されるのを目の当たりにしたとのこと…
「津波が来ても日本一の防潮堤があれば大丈夫だろう」「そんな大きな津波は来ないだろう」「避難するまでではないかな」ほんの少し、ほんのちょっとの手違い、考えの違いがもし起こっていたとしたら…
槙子先生がこの世にいなかったかもしれない…3人の愛する子ども達も存在していなかったかもしれない…
そう考えると、身の毛もよだつとはまさにこのこと。今とはまるっきり違った自分の人生がすぐそこにあったかもしれない。
そう思うといても立ってもいられない恐怖心に駆られます。
今日は、診療後、故障した診療台の修理に業者さんが駆けつけてくださり、修理が終わるまで居残りをしてきました。お腹を空かせて帰ると、夕食を食べ終えかけているいつもと変わらない家族の姿。
「ちょっとあんたたち!」「もうなにやってんの!!」そんなママの叱り声と、あっけらかんと自由気ままに振舞う3人の子ども達の姿。
当たり前の日常のようで、決して当たり前じゃない。
何よりも尊い日常であることを気づかせてくれるのが、我が家にとっての3月11日です。子ども達がもう少し大きくなったら、あの日の出来事をしっかりと伝えてあげたい。
とにもかくにも、今この目の前の日常にとにかく感謝。
子ども達には「生まれて来てくれてありがとう」
妻には「生きててくれてありがとう」
東北ではあるものの、あまり直接的な被害は少なかった山形県寒河江市の歯科医院ですが、私たちにとっては大きな出来事であることをスタッフの皆にも伝え、 医院ではお昼休み前に全員で黙祷を捧げました。
私達の何気ない毎日が決して当たり前じゃないこと、いろんなことに感謝すべきこと、本当に様々なことを考えさせられます。
「患者さんもスタッフもみんなが家族」という『家族』を大切にしている当院だからこそ医院全員で真摯に受け止め、大切にしていきたい3月11日。
皆さんはどんな想いで過ごされたでしょうか?